こんにちは、いなもち美恵子です。
自然いっぱいの地方都市で、心と身体のセルフケアをライフワークにしています。
このページでは、自己紹介をさせていただいています。
生まれた街は神戸市、星座は魚座、血液型はO型
それから、セルフケアガイドになった経緯からお伝えします。
セルフケアガイドへの経緯
中学2年生の初夏、股関節の痛みでカバンをもって歩いて学校に通えなくなり、
1歳、3歳の手術を執刀してくださった主治医の診察を受けると、
先天性股関節脱臼の悪化で経過を見て、身長の伸びが止まる18歳頃に再手術が必要と診断される。
子供の頃の手術で治ったわけではなかった、、、これからも一生、この病気と一緒に
生きていかなくてはいけないらしい、と自分の持病を自覚する
18歳の手術は40日間の寝たきり生活と、ハードなリハビリを経て2ヶ月半で退院となった。
退院する日の朝、主治医より2つのショックな話を聞いた。
1つ目は、股関節への負荷が大きくなりすぎないように体重管理が大切で、50歳で55Kg以下が目標(退院日の朝48kgだった)
2つ目は、今回の手術の寿命は現在の最長記録が15年、だから次に悪化した場合30代で人工股関節術が必要
そこで、人工股関節の手術を1日でも遅らせようと、体重管理も含めてセルフケア生活をスタート
ダイエット、ヨガ、自律訓練法、ストレッチ、タッチケアなどを医学的根拠とともに学ぶ
20代~30代は結婚・出産、育児と通常の日常生活を経験できた。
その中で、能力開発研究所の志賀一雅先生が開発されたMWT(メンタルウェルネストレーニング)という
脳科学的なセルフケアと出会い、生活の中でタイミングよく継続できるスタイルに感動する。
40代のある日、立ち上がりにくさを自覚したとき、さらに確実なセルフケアの必要性を実感する。
この時点で20年程セルフケアを継続してきたことと、仕事で介護予防に関わっていたことも影響し
セルフケアガイドへの意図が目覚めた、と振り返って思います。
そしてこの頃、すでにここからの年表に記した流れが始まっていました。
1998年 夏 ボディーワーク辞典にてアレクサンダー・テクニークを知る
これだ!と思う。
五体満足で元気な人がリズミカルに階段を下りる様子が目に浮かんだ
少し調べたが、学ぶための場所や方法は見つからなかった。
2000年 秋 磯村恵子ヨガ教室会入会
しばらくして初めて会ったアレクサンダー・テクニーク教師と分かる
磯村先生に伝えると、
私も初めてアレクサンダーテクニークの名前を知っている人に出会ったと喜び合う
2001年 夏 磯村恵子先生よりAT体験レッスン募集チラシ(ユズル芦屋教室)を紹介される
台風の日、片桐ユズル先生のファーストレッスンを受ける幸運に恵まれる
同 秋 ブルース・ファートマン AT入門ワークショップ参加
その後、同門となる先輩に出会う
2003年 春 ブルース・ファートマン主催 アレクサンダー・アライアンスに所属、教師トレーニング開始
2009年より 個人レッスン見習い 開始 ワークショップ・アシスタント 年3回程度 経験を積む
2012年 春 同 教師トレーニング修了 卒業
2013年3月 兵庫県西播磨地区にてアレクサンダー・テクニーク教師活動開始
2014年6月 EABP:欧州の心身心理学協会認定セラピストとなる
アレクサンダーテクニークと心身心理学セラピストの資格は海外認定資格であるため
レッスンスタイルは、健康寿命維持、ロコモ予防のためのセルフケアを軸として活動を開始
この時点でセルフケアを40年継続していたのでセルフケア相談にも対応できた。
本業は医療・福祉サービス従事 健康寿命維持・転倒予防・介護予防に関わる
2013年9月 KCC姫路校 磯村恵子先生より
アレクサンダー・テクニーク教室講師を引継ぎ就任
初めてのレッスンの日も台風だった。そして磯村先生は永眠された。
2016年8月 KCC姫路校 アレクサンダー・テクニーク教室講師を磯村先生三周忌を期に辞退
2016年9月 ギタリストの生徒さんの紹介で姫路文化教室 アレクサンダー・テクニーク教室 講師就任
*コロナ渦にレッスンは一時休業、人工股関節術を還暦過ぎて受ける
2023年 姫路教室 グループレッスン再開
2025年12月 現在に至る

所有資格 薬剤師 主任介護支援専門員 介護予防運動指導員 ロコモコーディネーター
趣味 俳句(窓の会常連 俳号 稲用飛燕) ピアノ
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